(写真↑は今回と無関係だが「本文とは関係ありません」と注釈が付いたのは進歩)
持つべき者と持たざるべき者
今回の事件は,海外の乱射事件の報道に接した犯人が,自らの目的の達成のためにそれを模倣したと考えられる.
犯行に至るまでの背後関係はまだ定かではないものの,幼稚な発想と余りにも短絡的な思考回路がもたらした悲劇と推測されるが,問題は何故海外同様の銃器を複数所持する犯人による乱射事件が銃規制に厳しい日本で起きたかにある.
狩猟や競技に使用する銃器は日本でも許可を得て所持する事が可能であるが,通常その許可を得るまでには図太い神経の持ち主で無いと参ってしまう(持たせたくないので嫌がらせをしいてるのかと勘繰りたくなる)程のチェックが入る.
これは実際に許可を得た知人からの伝聞であるが,所持しようとする動機(何故狩猟や競技を始めるのか)から始まり,本来の目的とは直接関係しないプライバシーに立ち入るのではないかと感じる内容まで仔細に調べ上げたという.
ところが今回の事件では近隣の住民から銃の所持を不安視する声が既に上がっており,前述のネチこいほどのチェックは機能していなかったと推測される.
もしくは警察署や担当者によってそのチェック内容に偏りがあり,知人の場合とこの犯人の場合では異なる判断基準があった(コネや事なかれ主義ではないと信じたい)可能性も排除出来ない.
今後同種の事件を防止するためには銃の所持を規制する事も一法ではあるが,既に所持が一般的でなくかつ入手も容易ではないこの国では,これ以上の規制に大きな効果的があるとは思えない.
それよりも全国で一律の透明かつ実践的なチェックを導入し,加えて取得する際(及び更新時)には精神科医のカウンセリングを義務付けて所持する者のメンタルな部分での事件の“芽”を発見するシステムも必要であろう.
これは自動車免許を取得しようとする者が,教習所で性格適性テストを受けて心構えを指導されるのと何ら変りはないのではないだろうか.
何も知らない人は精神科という言葉に抵抗を持つかも知れないが,心のカウンセリングは現代の多くの人に必要になりつつあり,安定した心理状態でいるために利用するような一般的なものであるべきと考える.
更に言うならば,昨今の不祥事からすれば警察官や自衛官など銃器を所持する業務に従事する者も,同様にこのようなカウンセリングを受けるべきである.(その事で銃を手にする全ての者が経るプロセスであるという認識も生まれる.)
内に甘く外に厳しい警察組織と揶揄される事も少なくない中,誰が見ても公平と感じる効果的な判断基準が導入されて然るべきであろう.
人々に“防犯”を呼び掛ける警察は自身がより研ぎ澄まされた防犯意識を持ち,事件の予兆を過小評価せずに未然に防ぐ努力を(事件の直後だけでなく継続的に)しなくてはならない.
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