2007年12月14日

“大人”と“子供”の違い


内向きなナショナリズムの先に利益は無い 

何の利益があるのか「ホロコーストは無い」とか「南京大虐殺は無い」と主張する人が時折出現する.

何故加害国と被害国の双方から歴史学者を出して,双方の国がそれぞれ中立的と考える国からも歴史学者の参加を募り,“四者検証”をするよう主張しないのだろう.

“陰謀”説や“プロパガンダ”説を主張する者は,まず客観的な立場から歴史的真実を探る提案をして,それでも相手が同意しない時にその主張を繰り広げればいい.

犬小屋の中だけで吼える犬は意外と弱かったりする.
国内向けに威勢のいい言葉を並べるだけに終始せず,海外に向けても自説を発信してそれに異論を唱える者と正面から堂々議論を戦わせ,その過程で浮かび上がる相違点の検証を共同で行うべきであろう.

何ら客観的な検証作業をせず「有る」「無い」の言い合いで終始するならば,それは“2ちゃんねる”で繰り広げられる戯言と大きな違いは無い.

“なんちゃってナショナリスト”や“なんちゃって右翼”は喜んでこの手の映画制作費を出すだろうが,「無い」を主張するもしくは信じる(信じたい?)者ばかりが集まって上映される映画を見て喜んでもその先には何の利益も見えない.

映画を見て“面白い”や“格好いい”で満足するのが子供で,“真実は何か?”や“描写内容の信憑性”を考えるのが大人の観点であろう. 描かれるままに受け入れてしまう“子供”の域から出て,問題意識を持った“大人”の観衆が増えてくれる事を祈りたい.

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